るーちゃんのブログ2

心のままに生きる

前を向いて

中学になり、何とか1か月は通学したものの5月からはまた不登校になりました。

 

もう、学校に戻ることを目標にするのはやめよう。

母親の私がそう思っても息子は学校に行きたいと考えています。

その気持ちがどこから来るのか、それが本音なのか、何度も考え、息子に質問し、行ける環境を作るために必死になりました。

 

でも、もうあきらめました。

 

それよりも、前に進むために何ができるかを考えました。

中学に行くことではなく、息子が高校や大学に行きたい気持ちを叶える為に何ができるか、息子が何を出来るか。

 

中学の担任の先生がなんとか繋いでくださり、中間テストは受けることが出来ました。

平均点がいくらかは分かりませんが、ひどい点でした。

 

いえ、学校に行っていない割には、良い点だったかもしれません。

 

そのテスト結果から、息子を知ることにしました。

なんとか必死になだめながら、時には感情的になりながら、息子とテストを見直ししました。

テストの結果は自分の弱点を知る良い機会。

こんな酷い点を取ってしまった息子を責めてしまう気持ちと思い通りにならない息子への怒りをあらわにしたり、抑えたり、自己分析しながら、一緒に勉強しました。

 

息子は学ぶことは嫌いではない。

集中力が低下している。

 

この息子にどう接すれば楽しく学ぶことが出来るのか。

自分なりの学び方をどう教えたらいいのか。

 

家庭教師を頼んだ方が良いのか?

 

でも、前向きに。

 

前に進むために。

 

目標は期末テスト。

今回の惨敗を成功にかえるために。

テストの傾向は何となく把握したので、次は今よりいい点を取り息子に自信を持ってもらいたい。

 

今日も明日も少しずつでも前進したい。

3学期のこと

中学に向けて、息子は3日間だけ登校した。

3学期は1日のみ登校する予定にしていた。

それで1日のみ登校した。

3日後にまた登校すると言った。

クラスの友人が、クラスのお別れ会がある日は来てほしいと言ってくれたらしい。

その日に行くとお別れ会はなかった。

卒業式は出席しないと決めていたので、その日の昼からは卒業式の練習だったので早退したようだ。

それから、荷物を取りに1日登校した。

卒業式が終わり、3日後くらいに卒業証書を長男と一緒に自転車で学校に取りに行くと小さな卒業式をしてくれたらしい。

 

それからその担任は転勤していった。

 

息子は、担任のことはもうどうでもいいようだった。

私は担任の事が嫌いだし関わりたくはないが、もう少し謝罪がっても良いと思った。

でも、心から誤れない人に表面的に誤られそれで終わりにされるのも嫌なので、自分が自然い忘れられるまで、自分をそっとしておこうと思う。

 

 

自分を出していいんだよ

息子が不登校になった。

もう4カ月。

5カ月目に突入。

 

 

今までの先生との対応をかなり感情的に進めた自分に後悔した。

半分だけ。

この抑えきれない感情を教育委員会や教頭にぶつけれていなければ、私は息子にこんなに冷静に対応できなかったと思っている。

だから仕方なかったと自己防衛してみた。

 

話し合いの二日後。

「仮に明日行くとしても時間割がないよ。」

息子がそう言ってきた。

学校に足を運んだ息子は、学校が懐かしかったよう。

久々で実は少し嬉しそうだった。

 

全体の話し合いの時に息子は担任が暴言を言っていないと言われていることに対して、

「いや、言った。」

やや怒りを込めて息子は担任にむけて大きな声で言えた。

それ以外は、息子からは何も言わなかった。

それを言う為に来たのだから。

良かった。

言えてよかった。

 

息子は成長した。

逞しくなった。

 

 

良く、不登校が終わる時、親が思う方向ではない子供が現れる。

そういう記述があったけど、親が思う以上の息子が現れた。

 

話し合いの時、笑が出てしまった。

 

担任は、納得していなかったけど。

 

今は、お金を払っているのだから、給食だけでも食べに行くように話をしている。

 

自分をどんどん出していいんだよ。

 

嫌だといった息子

二日連続で学校を休んだ息子の所へ担任から電話があった。

「私の子と何か言っていますか?」

無断で休んだ息子の心が何かで傷ついていることは分かっているけど、無理やり聞くことはしない。

そう思っていたので、聞かなかった。

「いいえ、何かあったのですか?」

 

「息子さんが、時間割を間違えて翌日の時間割をもってきていました。それを置いて帰ろうとしたのですが、反抗的だったので厳しく指導しました。」

 

こんなやり取りがあった。

 

この辺りから息子は学校へ行かなくなった。

修学旅行があったので、文化祭があったので、五月雨登校はしていたけれど。

 

4カ月たって分かったこと。

「あの時、ひどい暴言を言った。」

そう涙ぐんで話してきた息子。

 

担任は言っていないという。

他の生徒がいたので、その生徒に確認したが、だいぶ前で言ったような言わなかったようなという返答だった。

 

担任は、もしかしたら別の言い方はしたという。

そして、指導をすると反抗的な顔をして「嫌だ、持って帰らない。」と言われたので、きつく指導したという。

その時の言動は教えてくれなかった。

 

なぜ、持ち帰る必要があるかを説明することをお願いした。

 

この話を後で息子に話した。

「だいたい、担任が調査をしても担任の前で暴言を言っていたことを話せるわけない。自分が調査すること自体がおかしい。」

 

そして、せっかく息子が「嫌だ。」と表現したのに理由を聞かなかったのかが残念だった。

 

息子の話を聞くと、反抗的な顔をした理由と「嫌だ。」といった理由は違うらしい。

反抗的な顔をしたのは、常連のように教科書を持ち帰らない生徒には、笑顔で「今日は持って帰ること。」と指導している担任を見て、何故初めて教科書を持ち帰らない自分には厳しい言い方をするのかと感じたからだ。

「嫌だ。」と言ったのは、間違えて持ってきた翌日の時間割の教科書を持ち帰ることが面倒で重たかったから。

 

これをきちんと聞いていれば、暴言もなく、正しい指導ができたのではないかと思った。

 

「嫌だ。」の言葉は、息子と信頼関係を築けるチャンスだったはずなのに。

 

息子の中で担任は自分にはみんなより厳しく指導されていると感じており、それは他の生徒をひいきしている、あるいは自分を嫌っている、そのような考え方を導き出している。

 

私は、担任と話す中で、担任が納得できないと感じた時、それを顔に出すという態度を感じ取った。

恐らく、担任はひいきもしていないし、息子を嫌ってもいない。

ただ、息子にどのように接していいかわからず、それが顔や態度、話し方に出ていたのではないかと感じた。

 

それが息子にそう感じさせてしまったのだろう。

分からない、出来ないと感じた時は、上司や同僚に相談する、保護者と連携をとることが担任には何らかの理由でできなかったのだと感じた。

 

今回の話し合いで、息子は言った。

 

「先生は、いい先生が100だとすると1くらいだね。」

「みんないい人だと思うよ。でも今は悪に傾いている。」

 

安心した。

担任がマイナスでなかったから。

 

 

不登校の勘違い

不登校はなぜ起きるのか。

大抵、「理由がない。」と言われることが多い。

本当にそうなのかなあ?

でも、ちょうど思春期の入り口だし。

感性の変化かなあ。

ずっとそう思ってた。

思春期に子どもが親と口を利かなくなる。

だから少しでも息子が話しやすいようにできるだけ小さいころから、話をしていた。

それでも私にどんな問題があったのか、ずっと考えていた。

ただ、息子が今の学校に戻りたい気持ちが強いことがどうしてかわからなかった。

 

でも今できることは、息子が毎日楽しく生活すること。

思春期で1人の時間も大切。

ちょうど家には浪人生の兄がいる。

息子にとっては寂しくない毎日。

一日ゲームをしている息子。

気が済むまでやらせよう。

 

心をリラックスさせ、完全に復活するまで。

学校へは戻りたい。

高校には行きたい。

大学も行きたい。

そんな漠然とした未来は息子の中にはある。

なので、どんな形でもいいから、前へ進めるように。

 

そんな気持になってから、息子が少しずつ担任の不満を語りだした。

初めは授業が面白くない。

自分と他の子の怒り方が違う。

機嫌が悪くなってイライラしているのが分かる。

 

 

そして、先週、暴言を言われたことを涙を流して話し出した。

この辺りから、五月雨登校になった息子。

 

原因は、あった。

これは感性の変化とかアタッチメント機能の不安定さとかそういうものではない。

 

まずは、安心した。

理由が分かったということは、糸口がつかめる。

 

いつも感情的に教育委員会や教頭先生に電話で話をしていた私が、また感情的に電話をした。

相手は男性。

相手が男性で良かった。

 

担任は女性なので窓口にしなくてよかった。

そう思った。

 

3学期が始まりました

息子が不登校になり、4カ月近くになる。

昨日は、始業式だった。

 

前日の夕方から息子と親子3人で、出かけた。

バッティングセンターに行って、お寿司を食べて帰宅したのは、23時近く。

たぶん、登校する気はない。

そんな気がしていたので、気にせずに遊んだ。

3連休の2日を実家の母の手伝いに行ったので、息子に申し訳なかったから、思い切り遊べてよかった。

 

学校へは1月から登校すると言っていた。

一歩が踏み出せないのかもしれない。

だから背中を軽く推してみよう。

そう思ったのは、12月末。

息子は私には反抗的な態度をとることが多いので、その役目は主人かなあ。

それで父親に学校へ行くよう声掛けをお願いした。

感情的になることのない優しい父親。

父親ならすんなり勇気を与えることが出来るだろうと思った。

けれど、後押しを厳しくと勘違いしたのか、普段はしないようなきつい厳しい態度で登校刺激をしたのだ。

ゲームも取り上げた。

 

そのことで、息子は父親と2日間口を利かなかった。

 

父親の言動に声を押し殺して布団をかぶってない涙を流す息子の横で私も一緒に泣いた。

一番つらいのは息子で、苦しんでいる息子がさらに苦しむ姿を見て、胸が締め付けられた。

今まで反抗されたことのない父親が、息子の無視に対してとても悲しそうだった。

 

2日後、3人で遊んだ。

3人とも始業式には行かないという考えだったのだろう。

 

そして今度は、2月に登校すると言い出した息子。

 

私の中には、息子とは全く違う気持ちがある。

学力はやる気さえあれば、いつでも追いつくことが出来る。

だけど、おかしいと思った学校の在り方、信頼できない教師に学ぶことに固執して、同じ小学校に戻ることは、今後の息子の人生をマイナスに導くのではないか。

学校って恐ろしいところ。

これは私の勝手な考え。

息子の決断をのんびり待つことにしている。